夜明けのブロモ火山と砂の海

ピアノ・旅行・料理・サッカーが好きです。

【ジャワ一人旅】3日目 part.1 コタ地区

ジャワ島に8泊10日で行って来ました。

この記事は3日目の午前中にコタ地区に行った旅行記です。

※ 前の記事はこちら

fantasiabaetica.hatenablog.com

目次

朝食@ホテル

まずはホテルで朝食です。

品数は少ないですが前日とは違うものが並ぶので飽きることはありません。

前日のスープは郷土料理でしたが、この日はインゲンと人参が入ったマカロニスープです。

この日もBNI Cityまで歩き、電車でJakarta Kota駅へ。

こちらは空港鉄道。

普通電車 (Commuter Line) と空港鉄道は同じホームを使用しているので、間違えて乗らないようにしましょう。

こちらの電車に乗ります。

Jakarta Kotaへ行くには、途中Kampung Bandanで乗り換えます。

ホームはいくつかありますが、案内も出ているので、間違えることはないと思います。

この駅もそこそこ都会で、大きな建物が一つ建っています。

この電車は平日は混雑するようなのですが、日曜日なので人はあまりいません。

方向によっては植物が生い茂っています。

10分ほど待つと電車がやって来ました。

Jakarta Kota駅までは1駅です。

コタ地区の中心地へ

Jakarta Kota駅に到着です。

ドーム状の屋根が印象的です。

駅を出て、ファタヒラ広場に向かいます。

こちらがファタヒラ広場。ヨーロッパ的な色使いが、オランダが占領していた時代の面影を残しています。

こちらはジャカルタ歴史博物館です。

ワヤン博物館

このエリアには、いくつか観光施設がありますが、何となくワヤン博物館に入ります。

入ると、3m近くはある人形が展示されています。

近くにいたスタッフによると、国王 (スルタン?) とその妻のようです。

まず展示されていたのは、ワヤン・ゴレで使われる人形。

平面の人形を使うワヤン・クリと違い、ワヤン・ゴレでは立体の人形を使います。

「ラーマヤーナ」の物語と、各シーンで使われる人形が展示されていました。

このエリアを抜けると、石板が展示されているコーナーとなります。

オランダ語なので読めませんが、見ていると先ほどのスタッフがやってきて説明してくれます。

彼はダニエル・丘と名乗る68歳の中国人。ダニエルは中国の名前ではないと思いますが、この建物が元々は教会だったことなどを教えてくれました。

2階に上がります。上がったところには絵画が展示されています。

こちらがワヤン・クリで使われる人形です。

世界各国の人形も展示されています。こちらはイギリスのもの。

こちらはポーランドとロシアのもの。服装がそれっぽいですね。

他にもアジア各国の人形などもありました。

仮面もかなりの数が展示されていました。

適当に見ていたのでこの時は知りませんでしたが、後で知った話によれば、舞踏の際に使うもののようです。

コタ地区の散策 with ダニエル

博物館を出ると、ダニエルがやって来て、ついて来いというので、ついて行きます。

ファタヒラ広場にある建物や牢屋などについて一通り解説したあと、北に向かって進んでいきます。

運河沿いのこちらの建物は、ホテルや病院として使われていたそうです。

日本が占領していた時代においては、憲兵隊の事務所として使われていたそうです。

こちらの大和ホテルは、改修して再度ホテルにする計画があるそうです。

ちなみに、ファタヒラ広場のバタヴィア・カフェなども、オランダが占領していた時代の建物を改修したものです。

黒くて木が生い茂っている建物は、以前薬局だったようです。

ダニエルが言うには、運河に観光客用の水上タクシーを走らせる計画があるそうです。

そして、これはその停留所だそうです。

こちらが跳ね橋です。

横から見た図。

現在でも、こちらの機会により橋の開閉を行えるそうです。

左側にはイギリス時代の建物が、右側にはオランダ時代の建物が建っているとのこと。

にしても、運河はかなり汚いですね...。

ここで、ダニエルがスラム街を案内すると言い始めます。(右下がダニエル)

結果論としては見る価値がありました。

ただし今思えば、ここで掌を返されると大変まずい状況になっていたのは明白なので、ここでガイドを断るべきだったと思います。

このスラム街ですが、橋および線路の下のようなところに位置しています。

シャワーは井戸水だったり、当然ながら衛生的には良くない環境ですが、コンロなどの設備は少し整っていました。

すぐ近くに線路があります。

ダニエルは線路と線路の間で子供たちに勉強を教えているそうです。

(そんな光景は遂に一度も見なかったので、事実かどうかは怪しいですが...)

線路側から見たスラム街。ジャワの鉄道に乗っていて車窓から見える景色は、こうしたスラム街か、森林または農村が大半です。

電車が来ました。まさに今朝乗ったものと同じです。

この距離で電車が通っていくのは恐怖でしかありませんが、二度とできない体験にはなりました。

橋の下にはビリヤード場があります。

ダニエルは「スラム街の人々は貧しいが幸せそうだ」と言っていました。そんなものは、金持ちにとって都合のいいだけの解釈だと思います。

ただし、ある程度ですが自分の目にもそのように映ったのは事実です。

海の方向に向かって再び歩きます。

この辺りから、白と茶色を基調としたヨーロッパ的な建物が目立つようになります。

こちらはオランダ東インド会社の建物だそうです。

こちらが見張り塔。傾いています。

ダニエルが言うには、何回か改修したが、それでも傾いてくるとのこと。

見張り塔の中に入ります。

ダニエルが言うには、通常は一般人は入れないそうです。

いま思うと嘘だったような気がしているのですが、事実かどうかの判別はつきません。

見張り塔からは海の方向を見渡すことができます。

右奥に映っている茶色い屋根の建物は、もともと魚市場で、市場として再度改修する計画があるとのこと。

(前述の大和ホテル以外にも、この手の話は多かったです。事実かは知りません。)

続いて海洋博物館へ。

こちらの施設も、もともとはオランダ軍により使われていた施設で、窓は敵が来た時に銃撃できる仕様になっています。

内容は交易に関するものがほとんど。こちらは香辛料。

グラムあたりの値段が、香辛料の方が金よりも高かったそうです。

この人物が、(自分が日本人だからか)ダニエルが何度も口にしていた今村均という人物。

ジャワ侵攻の日本軍司令官で、インドネシアでは有名な人物だとのことです。

こちらは東條英機インドネシアを訪問した時の新聞です。

日本語が書かれたプロパガンダも展示されていました。

マルコ・ポーロなどの冒険家の人形が展示されています。なかなか雑な作りの人形です。

こちらはヴァスコ・ダ・ガマ。特に説明などはありませんでした。

海洋博物館の通路のような場所で、ダニエルが「貧しい子供たちのためにお金をくれ」と言い始めます。

勝手について来たとはいえ、英語での意思疎通もスムーズで話も面白かったので、ガイド代としていくらか渡そうとは自分も思っていました。

ところがダニエルは1万円欲しいと言い出します。さすがに高すぎると思ったのですが、このやり取りの中で大金を所持しているのも見られてしまっていたので、1,000,000ルピア(約9,000円)を渡すことに。

これに関しては、さすがに最高でも300,000ルピア程度で止めておくべきだったと思っています。色々とイレギュラーというか初めてのケースで対応できなかったことと、あとは所持金を把握された(また必要以上の額を持ち歩いていた)のは反省点ですね。

考えるほど、ただの詐欺だった気もしてきて仕方ないですが、ダニエルがスラム街の人たちに慕われているのは事実だったので、さすがに全て着服したりはしないでしょう。そう考えることにしておきます。

Part.2に続きます。

fantasiabaetica.hatenablog.com